私のルーツは奄美にある。
小さい頃、母子家庭でありながらも頑張って育ててくれた母親が、
「アンタには奄美の血が流れてんねんで。」
そう言っていた。
私は何故か小さい頃から、島唄や三線など、南の島のモノたちに惹かれていた。
そんな私を見る度に、母は「やっぱりアンタには奄美の血が流れてんねんなぁ。」って確かめるように言っていた。
「奄美の血」
幼い私はこの言葉を聞くたびに、
胸が騒ぎ、ワクワク感や淋しさが入り混じる想いになっていた。
兵庫県で生まれ育った私は、
『今まで訪れたことのない遠い土地やのに、私と深く繋がってる特別な場所なんや・・・。』
幼いながらも、こんな風に想っていた。
そして、昨日。
Fijiに来てから4年が経ち、初めて実の父親に国際電話を掛けた。
私が5歳の時に離れることになった、実の父親。
彼の故郷が奄美大島にある。
私が16歳になった時、10年以上ぶりにこの父親と再会したが、それからもなんかぎこちなく、色んな想いがあって連絡はほとんど取ることもなく、私も海外に住んでるから、ちゃんと逢ったりすることもなかった。
小さい頃はパパって呼んでたのを覚えてるけど、私はもう何年も彼のことを呼んだことがない。
そんな父親と、久々の電話。
私:「私がまだ生まれてから逢ったことのない、奄美に住んでるおばあちゃん(実父の母)ってまだ生きてんのかな?逢いたいんやけど。」
父:「…。(びっくりした様子。)まだ生きとるで。80歳になったんとちゃうかな。俺ももう18年も帰ってないわ。」
私:「そんなに帰ってないん?それやったら尚更。私、奄美に逢いにいこうと思うんやけど、急に逢いに行ったらおばあちゃんびっくりするかな?」
父:「お袋は今でもお前の写真を大事に持ってるし、逢いに行ったらそら喜ぶわ。俺も嬉しい。いつか俺もお前を連れて行きたいと思ってた。」
私:「そっか…。わかった。じゃあまた連絡するから、おばあちゃんに私が逢いに行くって伝えててもらっていい?」
父:「わかった。お袋、めっちゃ喜ぶと思う。また連絡待ってるわ。」
久しぶりの会話。
電話切った後、涙流れた。
奄美には一人で行こうと思ったけど、どうしても連れて行きたい人がいた。
それは、5つ下の弟。
彼が0歳の時に父親が去り、淋しい想いをしていたであろうのに、
私は完全に自己中で、周囲に反発ばっかりし、幼い彼を守ってあげられず苦しい思いをさせてしまった。
そんな弟は完全に孤立した人生を送り、約6年まともに口をきいてなくて、私が日本に帰っても逢えない状態が続いた。
電話をしても「今仕事中やから。」と言ってすぐに切られる始末。
それが昨日、数年ぶりにちゃんと通じ合えた会話ができた。
父親との電話の後に、勇気を出して弟に電話。
私:「うちらがまだ逢ったことのないおばあちゃんが、奄美に住んでるん知ってるやんな?
奄美に一緒に逢いに行かへん?飛行機代とか用意するから。」
弟:「…。仕事休まれへんから無理や。」
私:「おばあちゃん、今80歳で一人で暮らしてるらしいで。こんなタイミングもうこの先あるかわからんし、行こうや。うちらには奄美の血が流れてるんやし。私が行くって言うたら、親父も嬉しそうやったで。」
弟:(しばらく考えて)「…わかった。職場の人に聞いてみるわ。また連絡して。」
今までちゃんと会話が出来ずにいた私達にとって、このやり取りはむっちゃ大きな進歩。
想いが詰まって今度は号泣してもた。昨夜は、小さい時に弟と過ごした場面が夢の中に何度も出てきた。
一緒に行けるといいな。
嬉しさ、緊張、安堵、償い、過去を辿るチャンス。
全ての想いを胸に、今年の6月、昔から想い焦がれていた奄美に、ずっと逢いたかったおばあちゃんに逢いに行く。
私は今でも子どもかってくらい、夢を描いて未来を見てるけど、それと同じくらい、過去の自分も辿り、癒し、償いながら前に進んでいきたい。
今年29歳になる私が、30歳になるまでにやるべきことが2つある。
そのうちの1つが、奄美のおばあちゃんに逢いにいくことやった。
今まで色んな旅をしてきたけど、今度はルーツを辿る旅。
おばあちゃんから色んな話を聞いて、自分のルーツについて深く知る機会となればいいな!